木曜日の雨と月

くらしを愛する

時間の使い方、いのちの使い方。

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今日は久しぶりに実家へ。

ホームに入っている祖母とオンラインで面会をするためです。

祖母は92歳。

 

私がまだ小さかった頃。

土日や夏休みに泊まりに行って、文字の書き方を教えてくれたこと、お箸が正しく持てるように教えてくれたこと、一緒に公園に行ったこと、布団で寝たこと、大きくなってからも、ふたりで旅行に行ったり、食事をしたり、美術館や博物館に行ったこと。

そういうことを思い出すと、胸がキュッとなって涙が出てきてしまう。

これからもずっとずっと元気でいてほしい。

コロナで直接会うことはできないけれど、オンラインでも顔を見ることができて、元気そうで本当によかった。

またオンライン面会の予約を入れよう。

 

 

コロナ禍になって、大切な人と一緒に過ごせる(生きている)ことって当たり前じゃないんだって改めて考えるようになりました。

いつ自分がかかるかわからない、相手がかかるかもしれない。

そもそもコロナに限らず、事故や病気で命を失うかもしれない。

この前、駅に向かって歩いていたら救急車がサイレンを鳴らしながら通り抜けて行って。

その時、運ばれている人は自分が救急車に乗ることになるだなんて、寝る前に思っただろうか?

周りの人だってきっとそんなできごとが起こるだなんて夢にも思わなかったんじゃないか?

そう思って。

これって自分にも言えること。

だから、今生きているこの瞬間をもっと大切に過ごさないといけないなと思いました。

今まで気が乗らないお誘いも断れず、マウントされてるなぁって会った後にいつもモヤモヤしていた付き合い。

そういうことに使ってる時間ってすごくもったいなかったなって。

自分の心がよろこぶこと、幸せを感じられる人と過ごすこと、そういうことに時間を使わなくちゃ。 

自分に残された時間を知ることはできないからこそ、きちんと選択していこうと思いました。

今目の前にいる大切な人と過ごすことができることに感謝して。

当たり前が当たり前であることに感謝しよう。