木曜日の雨と月

くらしを愛する

おいしいものをおいしく食べる。

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体型のことに縛られなくなって3年くらい経つ。

 

17歳の時、無理なダイエットによる非嘔吐の拒食(下剤乱用)と過食を経験して、そこからストレスが溜まると過食する生活を10年以上繰り返してきた。

ダイエットを始めたきっかけは当時付き合っていた彼の「足が太い」そのひとこと。

痩せて褒められるのがうれしくて、どんどんエスカレートしていった。

その彼と別れた後も、私が付き合う人はみんな所謂モデル体型が好きで、「あと3kg痩せたらもっとかわいくなるよ」そんな言葉をかけられる度にダイエットをしては、ちょっとしたきっかけで爆発的に食べる負のサイクルに陥った。

17歳の頃からずっと、食べることはよろこびよりも罪悪感を伴うものに変わってしまった。

心底おいしく食べることができなくなってしまった。

どれくらいが普通の食事量なのかわからなくなり、常に罪悪感が付き纏っていた。

友達や大切な人と一緒に食べる楽しい食事、別れたあとは「またこんなに食べちゃった…」「また太っちゃうよ…」そう感じて罪悪感まみれになる。

 

変われたきっかけは、今のパートナーとの出会い。

彼は私の体型について褒めることはあっても、絶対に貶したりダイエットをさせようとしたことはない。

私が食べる姿を見て「おいしそうに食べるね」「食べたいものを食べなよ」と言ってくれる。

いつだってそのままの私を受け入れてくれる。

生理前で浮腫んでふよふよの私でさえ、「かわいい」と言ってくれる。

基本的にいつだって私という人間を全肯定してくれる。

そんな彼と過ごすうちに、私は自分のことを少しずつ少しずつ受け入れられるようになった。

スタイルがいいわけでもない、かと言って太っているわけでもない。

本当に普通の体型である。(この普通とは身長と体重のバランスのこと)

私はちゃんと自分の体型を正しく見つめることができるようになった。

たとえ、彼が私にダイエットをしたらどうかと言ってきたとしても、健康上に問題がないのであれば、私はもうダイエットはしないだろう。

誰かの言葉で私は私の価値を決めたりしない。

自分の中できちんと基準がある。

 

私は拒食も過食も軽度で済んだ方だと思う。

それでも10年以上悩んだ。

苦しくて苦しくて悲しかった。

他人の体型に口を出してくる人がどんなに失礼な人なのか、むしろ相手にこそ問題があることに気づけなかったし、わからなかった。

太っていても痩せていても、どんな体型でも自分が気に入っていればそれでいいんだってわかるまでにこんなに時間がかかった。

 

今、休みの前の日の夜中に彼と甘いものとポテトチップスを食べながら、おしゃべりしている時がとって幸せな時間です。

 

私、ちゃんとおいしく食べられるようになったよ。