幸せの感度。
去年の冬、カフェラテが好きになった。
心も身体もヘトヘトだった時、もこもこふわふわの泡とやさしい味にホッとしたから。
今まではコーヒーならブラック、紅茶ならストレートだったけど、そこにカフェラテが仲間入り。
私にとっての幸せとは?
そんなことをぼんやり考えている。
"いつか幸せになりたい"
そう願っていたけれど、土門蘭さんの文章を読んでハッとさせられて。
家族や友達と食べるごはんがおいしいとかお風呂が気持ちいいとかお布団がふかふかだとか、そういうことが私にとっての幸せで、それってつまりなにげなく繰り返されている日々のことだ。
それに対する感度が鈍くなると、私は幸せになりたいと願うのかもしれないな。
私が"いつか幸せになりたい"と願った"いつか"は紛れもなく"今"である。
現在のなかでしか、人は認知すること、つまり存在することができません。
「過去」は自分が「今」思い出している記憶であるし、「未来」は自分が「今」予測している想像です。それならば、今のわたしが「今」幸せを享受できなければ、いったいいつわたしは幸せになれるんでしょう?
その答えは、「いつまでたっても幸せになれない」。
逆に言えば、「今幸せだと感じ続けることができれば、わたしはずっと幸せ」なのです。
毎日毎日繰り返し読んでいる。
土門さんのこの文章に私の答えがぎゅっと詰まっているから。