木曜日の雨と月

くらしを愛する

デトックス。

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気づけば、10月も終わり。

早朝の空気に冬の気配。

 

少し前からデジタルデトックスに取り組み始めました。(上手に付き合えるようになるのが目的)

平日はデスクワークなので8~9時間はPCに向かい、合間に自分のスマホTwitterInstagram、ネットサーフィン…

1日の半分近くを、PCやスマホに費やしてると思ったら怖くなったのがきっかけです。

まずはTwitterを削除。

Instagramもスクリーンタイムで1日の使用時間を設定。

知りたいことだけに限定してネットで調べることに。

はじめは不安でした。

情報が入ってこなくなるんじゃないかって。

でも、1ヶ月近く経った今はとっても快適です。

通勤時は勉強に集中できるし、仕事中も気が散らない。

全体的に頭の中がスッキリしたような感じ。

 

最大の変化は、メンタルが落ち着いたこと。

膨大な量の情報を知らず知らずのうちに受け取ってかなり疲弊していたことに気がつきました。

それがイライラやモヤモヤ、ストレス、わけもなく不安を感じることにつながっていたんだなぁと。

 

前はすごく魅力的に感じて、完全に中毒状態だったけれど、ほどよい距離を持てるように。

スマホを気にしない今の生活がとっても快適。

スマホとの付き合い方を見直すのと同時に占いを見るのもやめました。

見なくても知らなくても全然平気。むしろ心が楽になってかき乱されなくなりました。

今までは結果に一喜一憂していたから。

占いきっかけを与えてくれたとしても、自分が動かなければ何も変わらない。

私しか私を幸せにすることはできないんだってストンと理解できたから、スマホも占いも必要なくなったのかも。

 

スマホやPCを使わない生活は無理だけれど、これからも自分にとってほどよい距離を保っていきたいなと思っています。

 

それではまた明日から新しい月の始まり。

明日に備えて良い夢を…☽・:*

 

 

 

 

 

 

 

 

淡々、粛々

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昨日の夜は久しぶりに大きな地震があり、3.11を思い出して怖くなりました。

なかなか寝つけなくて今日は寝不足気味…。

朝目が覚めて、家族がみんな元気なこと、ライフラインが使えることに改めて感謝しました。

当たり前の日常が送れるってありがたいことだな。

備えはして、あとはあまり心配しすぎずにいよう。

 

最近、淡々とか粛々っていい言葉だなと思うようになりました。

今まで私はその日の気分に左右されて、1日の仕事量にかなり波がありました。

たくさん頑張れる日とまったくできない日。

時にはまったくできない日の方が多くなってしまって自己嫌悪。

それでも期日を過ぎて誰かに迷惑をかけることはないから、まぁしょうがないかな…なんて思っていたけれど、これって自分がすごく疲れるやり方だなぁって。

波があるってやっぱり疲れますよね。

なので、まずは前日の退勤前に次の日にざっくり何をやるか決めてメモをしておいて、出社したら淡々と片付けていく。

そうするとどんどん気分が乗ってきて、他のこともやりたくなってくる。

やりたくない日もあるけれど、とりあえず決めたことだけは片付ける。

他に何もできなくても、前日の自分との約束は守れたから罪悪感なくいられる。

淡々と粛々と。

 

最近やっと数年の迷いの中を抜けて、自分のことを受け入れられるようになってきて、色々なことがうまく回り出しているような気がします。

たとえば、苦手なこと、やりたくないことに対しても、今までは取り掛かれない自分を責めていたけど、「今はそういう気分なんだね」と少し待ってみたり、逆に「ちょっとだけやってみない?」とやってみたり。

だんだんエンジンをかけるのがうまくなってきたのかも。

自分が自分自身の味方でいてくれることの気楽さと安心感みたいなものを感じています。

 

 

 

 

 

 

そんな私を。

美しいグラーデーションの夕方。

金木犀の甘い香りで、辺りはやわらかくふくよかな空気に満ちている。

今日が暮れていく。

 

 

深く深く潜って海の底で眠るような時間を過ごして、すーっと力を抜いて海面から顔を覗かせたら、いつもの日常が鮮やかになっていた。

こんなにやさしいものだったんだなぁ。

 

探し回った自己肯定感。

本を読み、ネットで探し、情報を貪った。

でも、私は全然お腹いっぱいにならなかった。

むしろ、もっとお腹が空いた。

自己肯定感の低い私を否定して、もっともっと埋めなくてはならないと思うようになった。

しあわせになりたいと思うたびに、"欠けている自分"を突きつけられて、心はどんどん萎縮していった。

深く潜った時間で、私は自分の心と向き合った。

しあわせになりたいのにしあわせを受け取ることを恐れる自分や不幸でいたい自分、育った環境のせいにしたい自分、愛されたい自分とも向き合った。

たくさんたくさん話をしたように思う。

そのうちパズルのピースがはまっていくように、どんどん心の中がスッキリしていった。

自己肯定感が低いとかそんなのって関係なくて、このままの自分でいいじゃないかって。

一生懸命、生まれてきたんだから。

自分の子どもが生まれる時、助産師さんが「お母さんもつらいけど、赤ちゃんも一生懸命生まれてこようとしてるから頑張って」って声をかけられた。

33年前、私もそうやって生まれてきたんだ。

一生懸命、生まれてきたんだよ。

決して平坦ではないでこぼこの曲がりくねった道を今も私は歩いている。

そんな自分を自分だけはずっと愛してあげよう。

他人が見たらどんなにダメかもしれないけれど。

 

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幸せの自給自足

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『どうかご自愛ください』 

ユン・ホンギュン

 

子どもに頼まれた本を買いに行って、目に止まった1冊。

パラパラとめくり、「今、読んだ方がいいかも」と思って購入。

ゆっくり読もうと思っていたのに、通勤と休憩時間だけでは足りず、結局お迎えの前にカフェに寄り道していっきに読んでしまった。

おいしいタルトと紅茶をお供に本を読む時間は、疲れて痩せた大地にお水と光がたっぷり注がれたみたいに、私を元気にしてくれた。

本の中身は自尊感情を高めるにはどうしたらいいかということ。

ここ数年の私のテーマである"自己肯定感"

私はもうどうしたらいいかはわかっていて、あとは自分を愛して信じてやっていくだけでいいんだなぁと。

その愛し方について教えてくれる1冊。

 

自己肯定感の低さの原因を過去に求めても、過去は文字通り過ぎ去ったこと。

変えられないこと。

それを追及することにエネルギーを傾けるよりも、いまできることにエネルギーを傾ける。

過去と他人は変えられない。

今の私が私のためにできることはなんだろうか?

自己肯定感が高まった状態の私はどんなふうだろうか?

結局のところ、何を変えるにも小さな小さな行動の積み重ねであることを改めて。

今日も私のために小さなことを積み重ねよう。

 

 

潜水する

変化する時ってきっと苦しくて痛いんだなぁと思う。

自分の中のドロドロしたものを全部出しきるまでは、見たくないものを真正面から見て向き合わなければならない。

たぶん今はそんな時期。

日々、進んだり下がったり。

自分の中にある目を背けたくなるようなもの。

うつくしいものばかりじゃないこと。

そういうものさえも受け入れられるようになった時、何かが変わるんだろうと思う。

 

今は深く深く自分の中に潜って向き合う時。

モヤモヤの正体

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最近ずっとモヤモヤしていて、仕事も家のこともなんだかうまくいかなくて、pmsだからかなぁなんて考えていたけど、今朝やっとわかった。

これだ!って。

仕事もパッとしない。

そのくせ母親としてもちゃんとしてない。

社会人にもなりきれず、母親にもなりきれない自分。

そんな中途半端な自分にモヤモヤしてた。

そして、そんな自分を無意識のうちに蔑んで責めてたんだなって。

それがわかったら、あとはもう何ができるか考えよう。

社会人として、母親として、何ができるか、どうありたいのか。

どんな自分なら(どんな行動ができていたら)、心地良くいられるのか考えて、実際にやってみよう。

 

前だったら、モヤモヤの正体に気づいても、そこでぐるぐるしていただけだったと思う。

でも、今は1日を嫌な気分で満たしていたくないから、できることからやってみようと思える。

小さなことからはじめよう。

そうしたら、必ず変化は起きるから。

お月様、ぬくもり手渡し。

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昨日のお月様は美しかったなぁ。

仕事からの帰り、ちょうど昇ってくるところで、しばらくぼんやり眺めていた。

金色のお月様。

眠る前も寝室に入ってくる月明かりが美しくて。

私が自分の心に持っておきたいのは、こういうもの。

美しい、素敵、かわいい、楽しい、うれしい、癒される、おいしい、満たされる…

人それぞれ持てる分量があるとするなら、自分をあたためてくれたり、穏やかにしてくれたり、やさしくしてくれるようなものを持っていたい。

最近は言葉にもとても気をつけている。

まあるくやさしい言葉を。

言葉は手渡すものなんだと思ったから。

自分に対しても、誰かに対しても。

例えば単なるビジネスメールひとつとっても言葉のぬくもりって伝わってくる。

直接かける言葉なら尚更。

ぬくもりを手渡せるひとでありたい。